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ペドロ・パラモ

こんばんは。

このあいだ、大雨が好きって話をしたでしょ?
罰が当たったのかなぁ。
土曜に予定していたバスツアーが、台風の影響で中止になってしまったよ。
あなたは、週末は何するの?

昨日、家に「ペドロ・パラモ」が届いたんだ。
もう家の本は増やさない、って決めてるんだけど、これは特別。
ずっと手に入れたかったからね。

字体が変わると、雰囲気がかなり変わるんだね。
図書館の慣れ親しんだ「ペドロ・パラモ」は死んだ母親の声が漢字&カタカナだった。
家に来たのは普通表記を太字で書いてあるだけ。
私はカタカナの方が好きだな。
この世ならぬ感じがして。


ものすごく、この本に惹かれる。

望郷。恋。
遠くにあるものに焦がれる、心の声。
光も色も匂いも味わいつくすシーンの描写。
輝かしい回想。暗く寂れた人と街の運命。

何度読んでも、圧倒されるんだ。


さ、せっかく届いたんだから、また読まないとね。

今日も読んでくれてありがとう。
楽しい週末を。
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イタズラ電話 寂しさ

こんばんは。
こないだ、夕方、見事なうろこ雲を見たよ。
ちょっとずつ、秋の空気。嬉しいな。
今日は暑かったけどね。
元気にしてた?


今日はね、イタズラ電話の話。


「今日のパンツの色、何色?」
というのが昔のイタズラ電話の定番のセリフだった。
母は若い頃、そんなイタズラ電話に対して
「レインボー!!」と叫んで受話器を置いたそうだ。

最近、イタズラ電話なんて言葉自体聞かない。
今になって思うと、パンツの色なんて聞いて一体どうするのか不思議だし、
そのしょうもなさに可愛らしささえ感じる。

本当は可愛いなんて寛容なことを言ってはいけない。
夜中に寝ぼけて取ってしまったイタズラ電話。
私だって怯えたことがある。
それに、小さな犯罪を放置することが大きな犯罪を生む、って言うし。

けれど、たった一本の電話によるスリルで満足してしまう、
イタズラ電話犯のつつましさに、やはり苦笑してしまうのだ。
同時に、見知らぬ人間の声や気配にすがる淋しさに、
何だか悲しくなる。

今、インターネットの力を借りれば、同類と居場所を見つけるのは難しくない。
きっとわざわざ軽犯罪に手を出して他人の生活を脅かさなくても、
少なくとも淋しさのほうは紛らわすことができる。

けれど、ネットの世界だって、ときに「見知らぬ他人の気配にすがる」場所だ。
そう感じるのは私自身、少しだけそんな孤独の味を知っている気がするからだ。

巧妙に姿を隠しただけで、淋しさは消えていない。
この先、それはどこに淀むのだろうか。


はい、おしまい。

今日も読んでくれてありがとう。
寂しがりは、人間らしくて、悪くないよね。

じゃあ、また。


自立と依存

こんばんは。
今日はどんな一日だった?
私は丸一日、ほとんど家にいたよ。
毎週末、平日に築いた生活リズムをわざわざ崩しちゃうんだよね。
ま、いっか。


安冨歩著「生きる技法」という本、読んだことある?
って、私は読んでないだけどね。
だから、人から聞いた話だよ。
「自立とは多くの人に依存することである」
って、書いてあるんだって。
何でもかんでも1人でやれるようになっていって、
依存する相手を減らしていった結果、
行きつく先は「見捨てられた困る人」だってさ。

聞いたとき、グサッっと来たよ。
それからずっと、この話が気になっているんだ。
私さ、割に何でも1人で平気だし、気楽でいいって思ってるんだけど、
そもそも誘う相手がいないからそうやって過ごしてるんだよね。
人によってはさ、
「洋服を買いにいくことすら1人では無理」っていう子もいるんだよね。
すごい!

なんかね、暇で死にそうなときに遊びに誘ったり、
美味しい食べ物屋さんに一緒に行ったり、
子供(いないけど)の面倒をみあったり、
っていうふうなの、確かにいいなー。と思ったの。
私もさ、過度じゃない頼られ方をされたら、嬉しいもの。
そういうのが、今後全く無かったら、すごく寂しいと思うの。
これって群れで生きる生き物の本能かな。

最近ずっと、人に頼ることに、背を向けてたの。
何故か分からないけど、ちょっと怖くて、
それを「面倒だから」って言葉でごまかして、トライすることから逃げてたの。

十分、生きていけるからさ。
水とか電気とか食べ物とか、スーパーとかコンビニっていう、
無機的な群れの仕組みがあるから。
夫がいてくれるってのもあるしね。

気付いたらさ、地元に帰っても、会う友達は1人だけなんだよね。

植物を見て思うよ、
毎日水やりがいる植物、月一回程度でOKな植物、いろいろだから、
自分に合う植物を選べばいい。
でも、どのみち、全く水を遣らなかったら殺してしまう。
フェイクは見栄えがいいし、楽チンだけど、面白くない。

きっと今、付き合う人が少ないのって、私が水やりをしなかったからだなって。

そんな反省もふまえて、
最近楽しそうなことを思いついたら、
人を誘ってみたりするようになったんだ。

ちょっと前進かな。


今日も読んでくれてありがとう。

あなたは上手に人に甘えられる?
だとしたら羨ましいな。
私は全然。
でも、ブキッチョも味だから、いいんだ♪

じゃあ、またね。
おやすみなさい。

んばんは。
やっと週末がきたね。
あなたは何か予定がある?
いいことあるといいね。

今日は雨の話。
さっき、大雨が降って、思ったこと。


雷が鳴る。
激しい雨の予感。
飛行機が夜空をオドオドと飛んでいく。
風が吹き、ねぐらの街路樹の中で雀たちが騒ぐ。
重たい雨粒が落ちてくる。

いつもの空き地に黒猫の勘助はいなかった。
猫たちはきっとどこかで身を寄せ合って雨をしのいでいる。

雨に打たれっぱなしで、歩いてみる。
ひんやりと湿った空気を鼻から吸い込む。
ここのところ具合の悪かった、耳の調子がもどってきて気分がいい。


子供の頃住んでいた地域には、ほぼ毎年台風がやってきた。
雷鳴が鳴り、教室で女の子達が悲鳴をあげる。
窓の外で木々が身を揺さぶる。
ワクワクと不安が同居する感覚が好きだ。
授業は切り上げになり、近所の子供たちで班になって帰る。
傘が見事に裏返れば人気者。
ふざけ合いながら、それでもどこか真剣に、風に向かって傘に隠れるようにして歩く。

家の中は雨戸が閉め切られていて、昼間なのに真っ暗だ。
真っ暗な応接間に忍び込む。
初めて知った非日常。
風の唸り、雷鳴、テレビの中の高波、ずぶぬれのリポーター。
停電。

必ず、次の日は快晴だ。
嵐の翌日の海はすごい。
澄み切った静かで眩しい空の下で、海は荒れ続ける。
白く輝く大きな波の塊は南極の氷が押し寄せたよう。
神々しいほど美しくて、怖い。

嵐でなくたっていい。
雨上がりは、いつだって楽しい。
長靴で大きな水たまりにざぶざぶと入っていく。
小さな冒険。
アメンボが飛び立つ。
底には海藻みたいに滑らかな藻。

子供の頃の話。

はい、お終い。

今日も読んでくれてありがとう。

台風の被害とかね、大変だから、
いい大人はこんな呑気なこと言ってられないんだけどね。

じゃあ、おやすみなさい。

喪服の女達

こんばんは。
おひささぶりだね。
どうしてた?元気にしてた?

私はね、初盆で家に帰ってたんだ。
それで毎晩夜中に、「剣客商売」シリーズを読んでたよ。
おじいちゃんの本棚から拝借してね。
お気に入りの一文は
「余人の投げたものではない」
しょっちゅう出てくるからさ、何だか楽しみになっちゃって。
本編とあんまり関係ないけどさ。


お坊さんが来る一時間前。
祖母と伯母と私が喪服に着替えて居間に集まった。
祖母と伯母が今の祖母のベットに腰掛け、私がその足元に直に座る。
祖母の僅かだが幼女のように交互に振る足。
伯母の斜めに組んだ足。
私の正座を崩した足。
いつになく和やかで、くつろいだ雰囲気。
微妙な感情のわだかまりが裏にあるはずの3人。
けれど今は姉妹のような親しみを覚える。
ふと思う。
喪服は女を同志にする。

どうなのだろう、
男の人は喪服を着ても、女性ほどそれによる気持ちの変化はないのではないか。
普段からスーツを着て働く人は特に。
色は違えど、スーツの延長上にあるそれは、決して特別な衣装ではないだろうから。
悲しんでいない、とか、そういうことじゃなくて。
ただ、喪服を着たからといって、そのこと自体が特別な気分を演出したりはしないのではないかと思うのだ。


女性にとって、喪服は、バックダンサー達の舞台衣装みたいなものだと思う。
普段であれば、年齢層や嗜好によって、それぞれ全く違った色や形の服を着ていた女たち。
薄めの化粧。簡素にまとめる髪。黒のストッキングとパンプス。
袱紗に、数珠に、黒のハンドバック。
黒づくめの服のデザインは、皆それぞれに少しずつ違う。
けれど今は確固とした統一感がある。

それは、
悲しむ衣装。
しとやかにふるまう衣装。
裏方として働く衣装。

奇妙な連帯感が生まれる。
スイッチが入る。

そして、
不思議なほどに、喪服を脱ぐと一瞬で日常が戻ってくる。


以上、今日はこれでお終い。
何だか尻切れトンボな文章だなぁ。

今日も読んでくれてありがとう。

子供の頃からお葬式に参列することが、割に多かったんだ。
斎場の喫煙コーナーの男の人たちが、
概して所在無げで、礼服の堅苦しさにうんざりしているという感じだったのを思い出しました。
悲しくて盛大に泣きながら、そういうところを淡々と見てるのが不思議だよね。
あなたも、そんなこと、ある?

じゃあ、またね。

お休みのお知らせ

こんばんは。

来週一週間、ブログの更新をお休みします。

地元に戻ります。
祖母との時間を楽しむことに集中したいのです。
滞在する祖母の家にPCが無く、
携帯電話を使っての更新は普段以上に手間がかかりそうなので。

田舎の空気を吸って、
あなたに話したいことを沢山持って帰れたらいいな。

19日以降から更新を再開します。
また遊びに来てね。

それじゃあ、
あなたも素敵なお盆休みを元気に過ごしてね。



批評

こんばんは。
今日はどうしてた?
私、さっきまで頭の中がシッチャカメッチャカだったよ。
疲れてるな。

その、くたびれた頭は考えました。
「私は何がしたいんだ?」
ブログのことね。
自分に八つ当たり。
あなたにもそんな日はある?


こんな歳になってもさ、
ほめられると嬉しくて、デレデレしちゃうんだよね。
「感性がすごいよねー。」
だって。
引き気味っていうの?多少気持ち悪そうに言われてさ、
そこが逆に本当らしくて嬉しかったんだ。

本当に自分の感性が豊かかどうかなんて、分からないよ。
でもさ、本心らしいフィードバックって、嬉しくてありがたいよね。

ファンレターとかそれに類するものって、書いたことある?
私はごく稀にしか書かないな。
すごく心を動かされてさ、メッセージを伝えたくなることはあるよ。
でもね、
「迷惑じゃないかな。気味悪がられたりしないかな。」
とか
「今更、こんな昔の作品の感想を送っても、困惑されるだけかな」
なんて、どういう訳か思ってさ、途中でやめちゃったりするんだよね。
「書いて送っちゃえばよかったのにー!」って今は思うよ。

だって、自分がね、このブログをはじめてさ、
誰かが見に来てくれたり、拍手ボタンを押してくれたり、コメントを書いてくださったりするとね、
すごく嬉しかったから。

えへへ、おねだりしてるみたいだね。
でも、そういうつもりじゃないんだ。

前に書いたけど、フェイスブックのフィードバックは、
義理の応酬って感じがする側面があって物足りなかったんだよね。

自分にとって大切な話をしてるとき、
適当にさ、聞き流すみたいな感じでさ「あぁー、いいねー。」って言われたら空しくなるでしょ?
そんな気分。

ここでではね、もらえる反応がね、信頼できるから嬉しいんだ。
あなたが率直な気持ちでいてくれるだろうことが嬉しいの。
だからこそ、いい反応が嬉しい。
逆にさ、つまんないことばっかり書いてたら、あなたが2度と見に来てくれなくなるかもしれないって、
ヒヤヒヤ、ドキドキするよ。
その必死さや切迫感もまた、いいんだ。


今日も読んでくれてありがとう。
「おもねる」は嫌らしいよね。

私も信頼に足る人でありたい。
そんな風に切望するのは、自分が今、そうじゃないからかな。

スパイス

こんばんは。
今日の昼間は特別暑かった!
外に出たら、トースターの中にいるみたいだったよ。
夏バテ、してない?

今日もまた、何を書いたらいいか分かんないや。
いつものことだけどね。

そうだ、子供の頃の話。

まだ幼稚園生の頃だ、私はすごいことに気付いた。
だから台所に立つ祖母のところに一目散に駆けて行って報告した。
「おばあちゃん!楽しいことはすぐに忘れるけど、悲しいことはずっと忘れないね!!」
祖母は呆れたように私を見た。

私もそんなこと、満面の笑みで子供に言われたら、戸惑う。
色々あったようで、小さな頃から変わらず自分だったんだなぁ。
思い出して、苦笑してしまう。

楽しいことの方を、むろん歓迎する。
不運とか不幸とか、なるだけ来ないでほしい。
けれど、悲しいことの方が、様々な色合いと深みと強烈さがあって、美しいと思う。
例えば幼い頃、近所の子供達に仲間外れにされて、泣きながら家に駆け戻って祖母に抱きついたときの、
まあるいお腹と、前掛けの魚を捌いたばかりの生臭い匂い。
そういうもののほうが、私を強く惹きつける。

悲しみは人生のスパイス。
でも激辛は食べられないのです。

なんてね。

平和に過ごせているから、こんな生っちょろいこと言えるんだよね。


今日も読んでくれてありがとう。
無事ってことはものすごくありがたいことだよね。


じゃあ、またね。

不思議 カランコエのアルボレッセンス

こんばんは。
やっと金曜日にたどり着いたね。
お互いにお疲れさまだね。
今日はどんな一日だった?

私は、頑張って昨日チームに配属された新人君に声をかけた日でした。
「あそこ、○○チームのチームリーダがちょうど来てるから、ご挨拶しに行こうか。」
とか
「課長(出張中)がね、6時になったら帰っていいって言ってたよ!」
とかね。
はー、緊張したー。
いい大人だけど、人見知りしちゃうんだ。
だから心の中で「ひぇー!無理無理無理ー!」って叫んでいたよ。
でも独りぼっちにしておけないものね。
よけいなお世話かもしれないけどね。


今日は何の話をしようかな。
また、植物の話。

多肉植物は体内に水を蓄える能力のある植物。
良く見ていると、水を十分蓄えているときにはプックリした姿になり、
水が減ってくれば痩せてくる。
痩せたのを見計らって水をやればよい。

たぶん多肉植物が好きな人には常識なんだよね。

家にある「カランコエのアルボレッセンス」。
白みがかった細い幹の先に、黄緑色の葉。
葉先には赤くて細い縁取りがあって、パッ踏ん張ったトカゲの足みたい。

この葉がね、買って帰って半年以上、水をやろうがやるまいが、
ずっとシワシワの年寄りトカゲ状態だったんだ。
それがさ、昨日水やりをしたあと、今日になって、
本当にプックリしているの。
びっくりしたよ。
ずっと休眠してたんだね。
それで突然目を覚ましたんだ。
いったい何がスイッチだったのか。
不思議。

不思議で思い出した!

以下は今年、我が家のニシキマルが開花した時の文章。
長くなるけど、ついでに読んでくれたら嬉しいな。


3~4年育てたサボテンに遂に蕾がついた。
何の兆候もなく突然、深緑色のイボの谷間にそれは出現した。

生きている。
年々根が充実し、体が大きくなり、花を咲かす。実がなる。
どうして?
不思議で、気味が悪い。
赤茶けた小さな蕾をジッと見つめる。

もちろん単純に嬉しい。
「今までの管理は正解だったんだ。」
「愛情に応えてくれた。」
なんてね。
でも、「私、やりました!!」とは言えない。

私が花を咲かせるのではない。
どんなに世話を焼こうと、結局はサボテン自身。
開花の決断を下すのは。

私は原産地メキシコ、モレロス州で一番よく生きるだろうサボテンを、
冬は寒く夏は蒸れるこの日本で小さな鉢に閉じ込め、
何とか生かすという、無駄に満ちた贅沢な遊びに一喜一憂しているだけ。

植物が、生き物が生きるという仕組みの不可思議さ。
複雑さ。途方もなさ。
小さなサボテンは、何か大きなものと繋がっている。

分かった気に、コントロールした気になるのは、
お釈迦様の手のひらの内の孫悟空になることだ。

長い長い年月をかけて編み出された命の仕組みに、畏敬の念を覚える。
改めて身の丈を知る。


はい!以上でした。
今日も読んでくれてありがとう。
世の中不思議だらけだよねー。


じゃあ、おやすみなさい。
楽しい週末を過ごしてね。
プロフィール

 みほ

Author: みほ
生きる日のよろこび、悲しみ。
一日一日が新しい彩りをもって
息づいている。
(By岡本太郎)

本と植物のお話が中心です。

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