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2355

こんばんは。
今日も元気に過ごした?

ねえ、今やってみたいことってある?
私、ピクミンがやってみたいの。
ゲームって、したことほとんどないんだけど、
なぜか「あれは間違いなく楽しい!」って確信してるんだ。


今日は、だから何ということもない、好きなテレビの話。


NHKの「2355」って番組、知ってる?
毎週平日夜の11時55分にスタート、0時に終わるんだ。
「2355が明日が来るのをお知らせします。ピー!」
って時報とともにね。

大好きなんだ。
と、言っても毎日見るわけでもないんだけど。

かわいいしね、かと思えば難解な現代アートの時間もあるしさ、
定番もあって、でも毎日違うしさ。

ルンルンしながら、パッと目を見開いてジーッと凝視してしまうんだ。
オモチャの動く獲物を前にした猫みたいにね。

でね、12時からの番組が好きじゃないから、
時報を聞いたら急いでテレビを消すんだ。
もしくは、チャンネルを変える。

余韻って大事だからね。


今日も読んでくれてありがとう。

あなたは何かお気に入り番組ってある?
私、「世界の車窓から」も好きだな。

じゃあ、またね。
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田植え

こんばんは。
月曜、しんどくなかった?
私はそれほどでも。
月末だから、仕事がちょうどいいぐらいに忙しくて、気分良く帰ってきたよ。
暇は暇でね、なかなか辛いからさ。


今日はね、田植のはなし。


「僕が子供の頃は、牛に犂をひかせていました。
牛も毎年大変なのを覚えているんですね。
犂を見るだけで、大いに嫌がってね。大変でした。」

田んぼの際で、遠くを見ながら同僚のお父さんは言った。
私も立ち止まって、歩いてきた田んぼを見返す。
汗だくの頬に風が吹く。
牛の鳴き声が聞こえ、田んぼに一列に並んだ人々の姿が見えたような気がする。
この人は子供の頃から、ずっと、ずっと、この田んぼを見てきたんだな。


夜7時に車に乗って、着いたのは翌日の朝9時前。
ホームセンターで足袋の形の長靴を買って、本物の農家のお母さんの帽子を借りて、
即、田んぼに入る。
ここは会社の同僚のご実家。
皆で田植えにチャレンジするのだ。

田植えといっても全面人力で植えるのではない。
田植機が入りきれない田んぼのコーナーや端、それから田植機の植え漏れを、
苗をもって田んぼの中をを歩き回って埋めていくのだ。

土は重い。
一歩一歩が重労働。
大量の汗と寝不足のせいで、
何度も何度も足が攣る。
右足の土踏まずが攣って、それが治って安心した次の一歩で左足が攣る、といった具合。
けれどそのうち慣れきて、
歩きながら腱を伸ばせるようになる。

1反終わると、次は道を挟んだ向かい側。
それが済んだらまた少し離れたところ、別の種類の苗でもう3面。
はじめは皆キャアキャア言いあってはしゃいでいたけれど、
やがて静かになる。
黙って田んぼと向きあう。

ふいに黄緑色の蛙がピョンと飛び出す。

君はいいな。涼しそうで。


はい!ここで突然、お終い!


後日ね、
「田植って、ものすごく、重労働なんだねー!」
と私の祖母に言ったところ

「私も疎開先で手伝ったことがあるけど、
あの頃は全部手で植えるでしょ、
…殺されるかと思った!!」

とのことでした。

感謝だな。

じゃあ、今日もとりとめのない話に付き合ってくれてありがとう。
またね。

黒猫のはなし 2

こんばんは。

週末、十分に充電出来た?

今日は私、いい昼寝が出来たよ。
「ダロウェイ夫人」の途中で眠りこけたんだ。
あの、力尽きて眠ってしまう感じ、気持ちいいよね。
素晴らしい!・・・のは分かる気がするのに、必ず途中で眠ってしまう本ってない?


今日もね、昨日の猫の話。
別バージョンがあってさ。
もう、馬鹿みたいなんだけど、書くだけ書いてみました。
黒先生、呪術師バージョンです。


黒先生  「勘助さん、あなた目が悪いわね。」
勘助   「はい、そーなんです。」
黒先生  「私の呪術で治してあげます。
      いいですか、人間に病気の原因である邪気を渡してしまうのです。」
勘助   「ええ!?人間に!?」

〈熱い視線を投げかけながら、通りすがる私〉

黒先生  「ほら!ちょうどいいのが来ましたよ。まずは引き留めましょう」
黒先生  「ナオォーン、ナオォーン」(そこの人間、立ち止まるのだー!)

〈私 猫に寄ってこられて感無量。自転車から降りて黒先生を撫でる。〉

〈黒先生 自転車を止め立ち止まった私に近づく。〉  


黒先生 勘助へ「ほら!あなたもおいでなさい!」
勘助   「え…あ、はい!」

〈勘介も駆け出てくる。〉

黒先生 勘助へ「わたしに続いて同じ呪文を唱えるのです。
         そうすれば邪気ははこの人間のもとへ…」
黒先生  「ナオォーン、ナオォーン」(呪文)
勘助   「ナ・・・・」

〈私 呪文を唱えかけた勘助の声で、勘助に気付く。
 勘助を驚かさないよう、囁くような声。〉

私    「勘助」

〈勘助はっとして目を見開く。〉
〈私 勘助の目を覗きこむ。〉

勘助 心の声  この声、この匂い…。ボクがこの縄張りに来たばっかりのころ、
        お腹が空いて死にそうで、1人でいるときに限ってそっとご飯をくれた…。

私 心の声   勘助、私が分かる?まー分かんないよね~。私、一番お前が好きなのよ。

〈私 勘助にそっと手を伸ばす。〉
〈勘助 身を震わせる。〉

勘助   「先生!ボク!出来ません!」
私    「あー、驚かせちゃった…。」

〈私 立ちあがり自転車に乗る。〉
〈2匹の猫 私を見上げる。〉
〈私 彼らにそっと手を振る。〉
私    「じゃあね」
〈2匹 私の手の振りに合わせて頭を振ってしまう。〉


〈2匹 私の後ろ姿を見送りながら。〉

黒先生  「いいんですか?勘助さん。」
勘助   「うん、ボク、このままで大丈夫。」
黒先生  「・・・ふーん」

勘助 心の声  あの人のくれたご飯、美味しかったな。
        柔らかくて小さな白いお肉にカツオのフワフワがチビッと載っててさ…。
        またご飯くれないかな…。


数分後 私は軽い腹痛に襲われる。
「うっ!最近なんか変なもの食べたっけ?」

黒先生の魔術が、ちょっとだけ効いたのだ。
その程度ですんだのは、呪文を唱えるのを思いとどまった
勘助のおかげなのである。


チャンチャン!

今日も読んでくれてありがとう。

犬も猫もカラスもハトも、見ていて面白いです。

じゃあまた。
一週間を乗り切っていこうね。

黒猫のはなし

こんにちは。
毎日毎日暑いよね。
私は暑さには強いけど。
あなたは夏型?冬型?

今日はね、ほんっとーにどうでもいい話。
近所の野良猫たちのお話です。


会社の行きと帰り、家の近所の空き地をチェックする。
猫たちを観察するためだ。
自称ご近所ワイルドアニマル観察機構。
猫の行動範囲は狭いらしく、
なじみの猫が出来て面白い。

キュビズムの肖像画のように、顔の真ん中に一筋の黒い縦縞を持つ三毛猫ピカソ。
今年の春生まれた、その子供、ベビーピカソ達。
いつも姿勢を低くして歩く茶虎はイエローサブマリンのサブ。
病気なのか片目を閉じている小さな黒猫は勘助。
勘助はいつでも小さくて腹ペコのペッタンコ。
勘助にだけはたまにご飯をあげる。
一匹だけでいるとき こっそり。
だって何匹もいたら遠慮して、遠くから見ているんだもん。

最近この区画に体格のいい黒猫が現れた。
目の前をぬっと横切る。
お!勘助!?と思うけれども、違う。大きい。
黒先生と命名する。

昨晩のこと、
遠くから黒先生と勘助が一緒にいるのが見えた。
自転車で近づいていく。
黒先生と目が合う。
こっちに来そうなそぶりだったので、少し通り過ぎたあと、自転車を止めてみた。
「ナオォーン、ナオォーン」とついてきた!
今までにないこと!猫が寄ってくるなんて。
自転車にスリスリしてくる。
ねぇ、ちょっと、危ないよ…。
そしてあのチビの勘助まで、黒先生を見習ってついてきた!
蚊の鳴くような声で「ナォ」
初めて近くで具合の悪い右目を見た。
手を差し伸べると、びくっとする。
きっと昔すごく怖いことがあったんだ。


懐いてくる猫は可愛い。
可愛いけれど、たぶん、この子たちはこういう会話をしていると思うんです。


黒先生 「人間たちの中にはな、おれたち猫のこと好きなのがいてな、
     適当に愛想をふりまくだけで、メシくれるんだぜー!」
勘助  「…そなの?」
黒先生 「おうよ!今日からお前は俺の弟子になれ。お前は向いてるぜ~!
     面構えがいいからな。チビでやせっぽちで、おまけに片目が悪いってなったらな、
     人間、お前のことほっておけなくなるぜ。」
勘助  「う、うん…」

〈熱い視線を投げかけながら、通りすがる私〉

黒先生 「あいつなんかいいカモだぜ!ほら!見てな!」
 
〈黒先生、私の自転車に追いついて、媚を売る。〉

黒先生 「ナオォーン、ナオォーン」(やいやい!メシを出せー!)
黒先生 「ナオォーン」
    (いいか、チビ、こんが具合だ。プリティにな!ほら!お前も付いて来い!)
勘助  「は!はいっ!先生!」

〈勘介も駆け出す。〉

〈私 感無量で黒先生を撫でている。
 近づいてきた勘助に気付く。
 勘助を驚かさないよう、囁くような声で〉

私   「かんすけ」

〈勘助、はっとして目を見開く。〉
〈私、勘助の目を覗きこむ。〉

勘助 心の声 
     この声、この匂い…。ボクがこの縄張りに来たばっかりのころ、
     お腹が空いて死にそうで、1人でいるときに限ってそっとご飯をくれた…。

私 心の声
     勘助、私が分かる?まー分かんないよね~。私、一番お前が好きよ。

〈私、勘助に手を伸ばす。〉
〈勘助、驚いて 逃げる。〉
 
勘助  「ヒャァッ!怖い!やっぱ無理!」
私   「やっぱ無理か~。」

 〈私 立ちあがり自転車に乗る。〉
 〈2匹の猫 私を見上げる。〉

私   「じゃあね」

 〈私 彼らにそっと手を振る。〉
 〈2匹 手の振りに合わせて頭を左右に振ってしまう。〉


 〈2匹 私の後ろ姿を見送りながら。〉
黒先生 「行っちまったな…。」
勘助  「うん…。」
黒先生 「ま!気にするなって!こういうアピールの積み重ねが大事だからな!」
勘助  「…」

勘助 心の声 
     あの人のくれたご飯、美味しかったなぁ…。
     柔らかくて小さな白いお肉にカツオのフワフワがチビッと載っててさ…。
     またご飯くれないかな…。

黒先生 「おいチビ!何ボケっとしてやがる!次の客が来たぜー!
    今度こそうまい飯せしめてやるんだからなー!
    ホイッ!ついて来い!!」


なんてね。
今日も読んでくれてありがとう。
本当に、本当にどうでもいい話でごめんなさい。
モットーは「日常にメルヘンを!」なんだ。

じゃあ、またね。



真贋からややこしい人間性の話

こんばんは。
今年も蝉の大合唱が始まったね。
どうしてる?

最近読んだのは吉本隆明氏の「真贋」。
本を読むことは、一般に人生を豊かにするって認識だ。
もちろん良いこと=利はあるだろう。
けれど同時に毒がある。
ってゆうようなことが序盤に書いてあった。

「文学の毒。」
すごく分かるな!
賢くなったり、豊かになったりした気分になる。
けれど、むしろややこしい思考回路が形成されて、
迷宮に入ったような気分になるもの。

今日のこれからの話、「文学の毒」の話とは少しずれるんだけど、
まあ、私のややこしい人間性の話。

「趣味は何?」と聞かれる。
「読書。」と答える。
答えとして平凡すぎるから嫌なんだけどさ、
本当に好きだからしょうがないよね。
それでね、「どういう本が好き?」
って聞かれると困っちゃうんだ。

「不思議の国のアリス」のクライマックスみたい。
頭の中で、お気に入りの本の表紙たちが一斉に宙を舞い始める。
「さあ、どれにするんだい?」
どれも、ひとつひとつ、素晴らしくて、懐かしくて、思い出すだけでお腹がいっぱい。
それで、一瞬フリーズしてしまう。

「『いい天気ですね。』
と、挨拶がてらに声をかけられたら、
適当に答えればいいだけ。
「本当に!」とか
「気持ちがいいですね」とか。

「趣味は何?」もそれと同じ。
半分挨拶みたい質問だから、
いちいち真面目に考える必要、あまりないよね。
実際、「だいたい小説。それ以外も色々。何でも読むよ。」
って、答えることにしてるんだ。
でもね、やっぱり毎回、複雑な心境になるんだよね。


好きだから、話したい。
なのに、気持ちや記憶が溢れすぎて、言葉にできない。

好きだから、話したくない。
興味が無いだろう人に、上の空で聞かれたくない。

愛した本は、私の一部。
簡単に他人に分かられたくない。

それとね、我ながら悲しいけれど、
評価を恐れる気持ちがストッパーになってるみたい。

ほら、ややこしいでしょ。
自分でもため息が出ちゃう。
「どうしてこんな風に育っちゃったかな~。」ってね。

まあね、どうにか、ちゃんと日常をこなしてるわけだから、
いいと思うんだ。
無理せず、少しずつね、生きやすくしていけばそれでいいかなって。


今ね、ヴァージニア・ウルフのこと、思い出してる。
あの聡明で繊細で皮肉屋で気難しがり屋の美しい人。
すごく惹かれるんだ。
ああなりたい訳じゃないけど。
「ダロウェイ夫人」、もう一度読んでみようかな。

今日も読んでくれてありがとう。
あなたは自分のややこしい気持ちを持て余すことってない?

じゃあ、またね。

犬のこと

こんばんわ。
暑いよね。
今日はスズメも朝から水浴びしてたよ。
元気に過ごしてる?


今日は犬の話。


「ほら、カン助。
こんなに痩せた。」

同僚の携帯のなかに、
くたびれたカン助が横たわっている。
カン助は彼女の実家で飼っている犬。
病気が進行して、ご飯もほとんど食べなくて、
もうすぐ死んでしまうんだそうだ。

3年前、一度だけ会ったことがある。
皆で車で12時間。一晩かけてたどり着いた先。
庭先で大きな犬が吠える。
あれが、会いたかったカン助。

ラブラドールレトリバー系の雑種。
ザクザクした黒い毛並み。
ガッシリとした背中を私に持たせかけて、
初対面の私の手や腕をずーっと甘噛みし続けた。
悲しげで何か必死な茶色い目。
「お母ちゃん!」
って、声が聞こえてきそうだった。
あの子はきっと本当の犬のお母ちゃんのこと、
思い出していたんだ。

私と会った頃は、大きな犬らしいゴツゴツした骨格で、
うざったくなるくらい、存在感と生命力に溢れていたのに。

命のスピードが速い。
簡単に追い抜いてしまう。
「分かっているけど、悲しいですね。」
かろうじて、それだけ言う。


安楽死も考えたけれど、やめたそうだ。
あまりにも穏やかに、カン助が毎日を生きているから。

お父さんが庭木の水やりで庭に降りると、
少ししっぽを振る。
起き上がってヨロヨロと寄って来る。
「水、好き。かけて。」
水浴びに満足したら、日蔭にもどってうずくまる。
大好きな原っぱに連れて行ったら、嬉しそうにして、
その日だけはご飯を食べたそうだ。

水しぶきを浴びる気持ちよさ。
空にキラキラと舞う雫が舌に落ちる。
慣れ親しんだ原っぱのしっとりと冷たい地面の感覚。
濃い緑の匂い。
家族の、心配や、悲しみや、可愛いって気持ちがこもった、
優しい眼差し、優しい声。
この世の日々を慈しんでいるような老犬と、
静かで、穏やかで、けれど張り詰めた空気の家族。

そういう切ない風景が目に見えるようで、仕事中なのに涙ぐんでしまう。

どうか、カン助の毎日に、たくさんのいいことがありますように。


今日も読んでくれてありがとう。
他人の、1度しか会ったことのない犬なのに、
泣きそうで、切実に祈りたくなるなんて変だよね。
それの祈りをここに綴るのはもっと変だね。
でも、書かずにはいられなかったんだ。
書いたからといって、なんの助けにもならないのにね。

私、慣れ親しんだ我が家で穏やかに死ねるカン助が羨ましいな。

じゃあ、またね。

クワズイモ 生きものを好きになること

こんばんは。
金曜日だね。
あっという間の一週間だったな。
あなたはどうだった?


今日は植物がらみのはなし。


ぽたっと手の甲に雫が落ちてきた。
リビングに置いているシマクワズイモが降らせたらしい。
何枚かの葉先にはまだ垂れていない滴が光っている。

サトイモ科の植物は、高温期の葉の蒸散が活発で、
夏になるとよく、水やりあと雫を垂らすのだそうだ。

それに憧れて今年の冬に買ったクワ子さん。

「ねーねー。私、元気よー。」
なんて、話しかけられてるみたいで嬉しい。

初夏の頃からの旺盛な成長が面白くて、ほぼ毎日身長を測っている。
普段から意味もなくじーっと見ることが多い。
生まれたての葉は表面を飴でコーティングしているみたいにつやつやしていて美しいし、
茎は良く見ると緑の細かい緑の点や線が透けて見えてきれいだし。
全然飽きない。

見つめることは愛だ。
といっても、まさか人間を、こんなにもジーッと見たりはしない。
人は、凝視され過ぎると、きっと壊れてしまう。
植物に過剰に水や肥料を与え続けると弱ってきてしまうのと同じ。

必要なものを、必要な分だけ。
というのは、生き物と付き合っていくうえで、とても大切なこと。

手を焼きたい
見ていたい。

けれど「あるがまま」を壊したくない。

そういうもどかしさ。
苦しくて、面倒で、微妙なバランスの上に成り立っていて、
たぶん楽しい。


読んでくれてありがとう。
私は何が言いたかったんでしょう。
自分でもうまくつかめないまま、書いてしまいました。

そういえば、岡本敏子さんクラスになると、
苦しいとかそういうネガティブなことは一切浮かばないみたい。
まだまだ私は煩悩にあふれているってことかな。

あ!また、とりとめのないことを言い始めてる。
ごめんね。
退屈させてないといいんだけど。

じゃあ、またね。
よい週末を!


食うものをくれ

こんばんは。
今日もまた、暑かったね!
元気にしてる?

今日もね、また本の話です。
で、昔書いた文章なので雰囲気が違うかも。
楽しんでもらえればいいけど。


「ブリンジ・ヌガク 食うものをくれ」
は最近読んだ本のタイトル。

アフリカのイク族を研究するため、彼らと生活を共にした文化人類学者の記録だ。

イク族はかつて山岳地帯を移動しながら狩猟・採集で生活を営んでいた民族だ。
おそらくその移動生活はそれなりに豊かであったと想像される。
しかし政府の政策により、作物もろくに実らない痩せた土地への定住を余儀なくされる。
そして訪れたのが継続的な飢饉である。

筆者がイク族の集落を訪れたとき、案内役のイク族の青年が
2年ぶりに会う病気の母親にかけた最初の言葉が、
「ブリンジ・ヌガク」(食うものをくれ)である。

様々な出来事が筆者を驚かせる。

自分以外の人間に無関心。
家族ですら、食物を分かち合わない。
得た食物はその場で食べつくされ、
食べ物を家に持ち帰り家族と分かち合うということは皆無だ。
例えば家で老人が病に伏していて、援助の食糧を自力で取りに行けないというとき、
彼らは老人の分の食糧も受け取り、家に帰り着くまでに食べつくしてしまう。
たとえ食糧が一人で食べきるには多すぎる量であっても。

そうやって老人や病人はは食べ物を奪われ、放置される。
子供も3歳で家から放り出される。

今にも死にそうな人に、筆者が与えようとした飲み物を、
同じ集落の女が取り上げて飲み干し、周りが笑う。
彼らにとって、弱者が困難に陥るシーンは、いつだっておかしくてたまらないのだ。
弱者を積極的に攻撃したりはしない。
けれど、年寄りが崖から足を滑らした際など、皆大いに笑う。


私たちが大切だとしてきた、愛が、思いやりが、道徳が存在しない世界。

筆者な彼らの有りように辟易するが、やがて気付く。
そんなものが入り込む余地がないほど、彼らの飢えは深刻なのだと。
愛など贅沢品で、そんなものを保持していたら、彼らはすぐに死に絶えていただろう。
彼らのやり方は、彼らが飢餓を乗り越え生き残るため出来上がったシステムだ。
愛や、思いやりや道徳は、本当は脆い。

最後に筆者はイク族の世界を現代に重ねる。

そうかもしれない。
今の世の中が、イク族の集落のようだって。
そんなこと認めたくないけれど。
少しづつ近づいていっていなないかと不安になる。

痩せこけた祖父を病院に見舞うとき、思う。
私はこの人をここに捨て置いたのではないかと。
まだ出来ることはあったはずなのに、その手間を惜しんだんではないかと。

飢えて痩せこけたアフリカの子供をテレビを通して見て思う。
私はこの子たちの食べ物を奪っていると。

子供の頃は、苦手だった過激なお笑いの人達。
「何であんな意地悪するの?」
なんて、今は思わず、きわどいことでも笑って見ている自分。

何かをしない残酷さ。
目をそらしているうちに、感覚が麻痺していく。
残酷なことを、残酷と感じることすら無くなっていく。

そういうことが、
今の世の中にもあてはまるのじゃないか。

時代に迎合している私が、こんなこと指摘できる立場ではないのだけれど。


以上。
長かったよね。
読んでくれてありがとう。
「みんな仲良く」って可愛いことばだよね。
じゃあ、また。


スキップ

こんばんは。
3連休も今日で最後だね。
どうしてる?
私は基本的に家の中で過ごそうと思ってます。

今日は何の話をしようかな。
タイムスリップの話の続きをしよう。
「君の名残を」より小規模なタイムスリップ

北村薫「スキップ」
17歳。高校生の主人公が、夕方のうたたねから目を覚ます。
すると自分の姿が中年女性になっている。
17歳の魂は時を越えて42歳の自分の体に飛び込んでしまったらしい。
そこにはもちろん42歳の自分の生活がある。
高校の国語の教師。
母親。妻。
事情を半信半疑ながら理解した娘と夫の協力で、
高校生の魂のまま、教師としての学校生活がはじまる。

17歳の少女としての恋を、42歳の自分として、手放すときの言葉が好きだ。
好きだと本気で言ってきた少年に、自分の気持ちを隠して言うのだ。

「いくらあなたが、私を好きでも、わたしが江戸時代の人間だったら、
どうすることも出来ないでしょう。それと同じことよ。
そのずれが、もうちょっと小さく起こったの」


タイムスリップなんかしなくても、小さなズレは起きる。
「もっと早く出会いたかった。」
そういう言葉。
私はそういう「もし~れば」ってことを考えるのが苦手で、
安直に「そうだね」とも言えなくて、
「もっと早かったら、あなたと知り合うことすらなかった。」って
着地点のない答えを返したっけ。


ズレは、小さくて、選択の自由が残されている。
17歳の少年との恋を取ることだって、
大変だろうけど、できるのだ。


主人公は17歳以降から今までの「知らない自分」が歩んできた道への信頼、
はぐくんできたものへの責任とを、大切にしたのだと思う。

どちらが正解。ということはない。

けれど、主人公の誠実さ、潔さにあこがれる。

私もそうありたい。
なんて、きれいごとかな。
きれいそうなことを言うのは、怖いよね。

だって、現実はもっと真心と打算がぐちゃぐちゃに入り混じってて、
決して常に完全にきれいではいられないもの。

だからこその憧れかなって思うよ。


今日も読んでくれてありがとう。
最近本の話ばっかりだね。
違う話もしたいんだけど、今、ぐちゃぐちゃつながりで
芦原すなおさんの「スサノオ自伝」のことを思い出してしまってます。

読んでくれて、ありがとう。
夏の日を楽しんで過ごしてね。
じゃあ、また。

真夜中のトイレ、タイムスリップ、「君の名残を」

真夜中にトイレに起きた。
静かで暗い、淀んだ空気の居間と廊下を通ってトイレに入る。
たまにドタッという音がする。
上の階の住人の気配だ。
頭がぼんやりしたまま、便座に腰掛ける。
気付けば目の前の壁をぼーっと見ている。
目を開けているのに眠っているようなおかしな感覚。
そんなときは必ず、ドアを完全に閉め切らない。
少しの隙間だけ開けておく。


子供の頃、テレビで見た怪談が忘れられない。
夏、怪談の盛り上がる季節の特番か何かで放送された、
何本もの短いドラマのうちの一つだ。

夜中、トイレに起きた子供。
トイレを済ました子供がドアを抜けた瞬間、
そこは鎧武者たちが死闘を繰り広げる夜の森の中なのだ。
あたりを見回しても、もうどこにもドアは無い。
泥と血にまみれた、亡霊のような鎧武者たち。
彼らの刀や鎧が激しくぶつかり合う音。
不気味にざわつく木々。
露にぬれた足元の草。
自分の素足。
場違いな薄手のパジャマの裾。
子供は言葉も出ずに立ち尽くす。
鎧武者の1人が不意に振り向き、何の躊躇もなく子供の頭上に刀を振りかざす。
「きゃー!」

と、いうところでドラマが終わる。

そこから結構長い期間、私は、ドアを閉める度、次にドアを開けた途端に別世界だったらどうしようと
本気で怯え続けた。
幽霊譚で怯える感覚より、もっと切実に恐ろしかった。
だって実体のある鎧武者は、私を本当に切り殺すのだ。
血や命に直結した恐怖。
そしてそれ以上に、人間の運命を翻弄する、冷徹で得体の知れない大きな力への恐怖。

それが焼きついていて、未だにドアという境界線が嫌いだ。
現実に私がタイムスリップしてしまうことは、きっと無いだろう。
けれど、人間がちっぽけで、自然や運命に翻弄されることは確かで、
私にとってドアがその運命の暴力の象徴なのだ。
本当は、何が起きても、結局は全力で生きるだけのことだ。
とはいえやっぱり、トラブルはご免。ドアにご用心だ。


タイムスリップといえば、
浅倉卓弥「君の名残を」

君の名残を


主人公達が飛ばされるのは、源平の合戦の時代。
現代に戻るすべはなく、互いが同じ時代に存在することも知らず、
乱世の中それぞれの場所で大人になっていく。
やがて気付かされる、運命が彼らという駒に与えた役割。
有無を言わさず投げ入れられたその土俵で、
葛藤しながら自由意志を持った1人の人間として精一杯生きる姿が美しい。


今日も読んでくれてありがとう。
このごろ暑いよね。夏バテとか大丈夫?
じゃあ、またね。
よい3連休を。

オノマトペ

やあ!
今日はどうしてた。

こちらは、相変わらず頭がうっすら痛いです。

目も痛い感じがするので、テレビも携帯も本も受け付けない。
なんて言いつつ、パソコンの前に座るんだから、快方に向かっているみたいです。

今日はどうでもいい話。

オノマトペを英語で説明するって面白い。

プカプカはfloating comfortably especially in or on the water
フワフワはfloating comfortably in the air

ベタベタはsticky and slight oily touch and it uncomfortable
ギトギトは oily and sticky and having glittering look

かなぁ、なんて。

面白い、とか言いながら、たった4例で飽きちゃったけど。

こちら、谷川俊太郎さんの「みみをすます」。
静かな迫力がある詩です。
みみをすます

平和だったりもします。
怖かったりもします。
ネットで検索したら、簡単に本文は出てくるけど、
ぜひ実際の本を手にとって長新太さんの挿絵とともにご覧になってください。
あれ?宣伝っぽくなっちゃった(笑)

前半はオノマトペだらけです。
英訳が付いています。
(※少なくとも、画像のバージョンの本には。)
けっこう違うオノマトペに同じ英単語があてがわれてて面白い。
英語版の翻訳の方は、大変だっただろうな。
日本人同士だと、オリジナルで作ったオノマトペも、
なんとなく雰囲気が理解しあえるものね。

そのうちオノマトペをもっと突き詰めて考えたいな。
でも、今日はこの辺でおしまい。

今日も読んでくれてありがとう。
またね。

アデニウム

こんばんわ。
月曜日だね。
楽しく過ごした?
私は夏バテかな、気分が悪くて会社を早退しちゃった。
ま、色んな日があるよね。


はじめて写真を載せてみます。
こちらはアデニウム。

週末、早朝に目が覚めたら、東の窓の磨りガラスがキラキラして、植物達も幸せそうで、
とても平和な光景でした。

今日も来てくれてありがとう。
またね。

アデニウム-001

ごめんなさい

異性から言われる「ごめんなさい」は悲しい。
謝られることなんて、一切求めていないのに。

先回りして、優しい言葉で、自分の手を汚さず、私に悟らせる。
卑怯だ。

ごめんなさいなんて。
君は一体何様なんだ。
上から目線で。

ごめんなさいだって。
改まった口調で、
腫れものを触れるように恐る恐る。
私をモンスターのように扱わないで。

そうやって反感を覚えながらも、うっすらと分かっているのだ。
反感は、私の現実逃避。
怒りは、悲しい現実からの一時的なシェルターだと。

不合格。
ってゆうことだ。

試験を受けにいったわけじゃない。
出会って、互いに好意をもったから仲良くなっただけ。
好きだと言ってくれたから、浮かれて過ごしていただけ。

好きって言ったくせに。

やがて魅力より、欠点のほうがより目についてきたんだろう。
その欠点は愛せない種類のものだったんだろう。
減点が積り積って、赤点状態に。
だから、ごめんなさい だ。
なんてありふれた、ステップ。

まあ、でも「ごめんなさい」以外、ほかに何と言えばいいのか。

いくらでも、もっと冷たい言い方がある。
「ごめんなさい」としか言えない、
その人の優しい貴公子のようなところが好きだったのだ。
不器用なようで、実は器用に、適切に人との距離を保つことができるところも。
自分の気持ちを容易く偽らない人であることも。
賢くて、いつだって好判断を下すところも。

好きになるに値する人を、私は好きになった。
とか。
できるだけ前向きなことを考えて、悲しみや自分を卑下したい気持ちをやり過ごす。
時間が過ぎて、記憶や感情が薄れて、いつか楽になる日が来るのを待つ。
同時に、何もかもが煌めいて見えた日々を忘れてしまうことを残念に思いながら。



はい!
そういう若き日の思い出でした。


今日も読んでくれてありがとう。
最近集中して よしもとばななさん を読んでいます。
今日の話題、分かりやすく影響を受けてしまいました。
よしもとばななさんは好き?
私はTUGUMIと王国の3巻がたまらなく好き。

じゃあ、またね。

ノスタルジーの日

こんにちは。
今日はどうしてた?
こちらはいつもと変わらず。

今日は本にまつわる話。

週末、部屋の片づけをした。
本の量もだいぶ減らした。
いったん棚から全部本を出す。
段ボール箱を用意して、
不要とジャッジした本を放り込んでいく。

棚の奥から、秋元康先生「君の恋のつづきを占おう」が出てきた。
「わぁ、まだこの本、持ってたんだ!!」
って呟きながら、即座に段ボール箱行きを決定。
もう恋を占ってもらうような歳じゃないし。
タイトルが恥ずかしいので、わざわざ箱の底のほうに埋める。


100円の小さな値札が貼られていた。
私は19~20才くらいだったはずだ。
古本屋の棚で見つけて、目が離せなくなって。
「なんて恥ずかしいタイトル!」って思いながら、
他のお客がいない隙に棚から引き出し、立ち読みして。
その場で読み切ってやるつもりだったけれど、
結局買って帰った。
恋に悩む「女の子」だった自分。

今日そんなことを思い出していた。
それでついまた、その本を段ボール箱から引っ張り出してきてしまった。
まだ捨てずに箱ごと玄関に置いたっきりだったのだ。
埋めて、掘り出して、また埋めて、また掘り出す。
犬じゃないんだから。

ランダムにページを開き目を通してみた。
身が入らない。
「珠玉の恋愛バイブル的エッセイ。」というのが私のこの本のイメージ。
確かに若かった私にとってすばらしいこと、身にしみることが書かれていたはずである。
でも、もう今は必死になって読める気がしない。
必要としていないからだろう。

大人になったというか、歳をとったというか。
最近よく、人生のステージが一段別の場所に移動しきったことを感じる。

大学を卒業して3~4年目くらいまでは、学生生活が懐かしくて仕方がなかった。
今ももちろん懐かしいが、それはあくまでただの思い出であって、
「戻りたい」と切望したりはしない。
そこはもう別世界。
そんな風に、確かにあったもの・いた場所が遠くなっていく。

もちろんこれからまた、大学に通うことも、恋に悩むこともあり得るだろう。
私はそれらを同じように楽しむだろう。
ただしそれは、19歳の私のそれとは、別のものだ。

寂しがっても仕方ない。
でもやっぱり少し、寂しい。


今日も読んでくれてありがとう。
こんな風に思うこと、ない?
例えば、「道のど真ん中で思いっきり大声で泣けないなんて残念だなぁ。」とかさ。

じゃ、またね。

子供な自分 書くこと

昨日、オジちゃんたちを子供だと非難したけれど、私の中にだって子供がいる。
人のことを言っていられない。
自分でもびっくりするような失敗をした。
思い出すのがまだ辛いので、何があったか言えないけれど。
失敗の原因を考えると、背後にあまりに幼稚な自分がいた。
あの子をどうにかしてあげなければ。
あれはきっとないがしろにしてきた自分だ。

よしもとばななさんの作品をよく読む。
絵を描くようになった主人公が、
絵にじぶんのいいところ、だめなところが自然に出てくると語ったところを思い出した。

文章も同じ。
夢中になってキーボードを打つ。
何度も推敲する。
どうでもいいことばかりだけれど、完成度はいつも低いけれど、
書くことを愛している。
時間を置いて読み返すと、確かにそこに自分が出てきている。
懐かしいときもあれば。
憎らしいときもある。
絞め殺してしまいたいぐらいに。

その苛立ちが、また楽しい。


今日も読んでくれてありがとう。

何か夢中になってやってることってある?
子供の頃「熱中できる何かを持つことがが大事!」なんて言う大人が嫌いだったな。
そういうのって、コントロールできない偶然の出会いだよね。
持ってることは、もちろんいいこと。
だけど、今持っていないのも全く普通のこと。
そう思うな。

それじゃあ、またね。

困ったオジちゃんたち

「それ!セクハラです!」
とストレートに言い辛い、なんとも線引きが微妙なセクハラ的行為。
言わないのは、周囲の人間に自意識過剰の女とみなされる危険があるから。
それに男性側に悪気が無かったりするから。
「悪気が無いんだから許して。」というのは子供の言い逃れだけれど。
そう、子供じみているのだ、セクハラ的行為をするオジちゃんというのは。
常識的判断力及び危機管理能力が欠けている。
わざわざ「セクハラです!」と事を荒立てず、かといって彼らが増長しないように、都度状況に合った手を打つ。
面倒だけど、馬鹿らしいけれど、こういう表立たない戦いは会社で働くってことの一部。


昨日のこと、
社内の階段を上っていると、向かいから以前同じチームだったオジちゃんが降りてきた。
するとおじちゃんは私に両手を広げて通せんぼをしてきたのである。
ただでさえ大きな体のおじちゃんが、
階段の1~2段上から覆いかぶさられるように私の行く手を塞ぐ。
かなりの圧迫感。
軽いパニックになって、思いいっきり睨んだ。
「どかないなら殴るぞ!」って気迫で。
おっちゃんは、
「すんません。」
と小さくなって去って行った。

ただの冗談だったんだろうが、
いい年のおじちゃんが、会社で通せんぼなんかしないでほしい。

そういえば昔、おもむろに頭を撫でられたことがある。
そのときもかなり不快だった。笑って済ませたのが間違いだったのだ。

でももう大丈夫。気の優しい人なので、威嚇は睨むくらいで十分。
あとは必要な会話以外は避けて、距離を置くだけ。
これでもう二度とからんでこないはず。



おじちゃんの普段のいい人っぷりを知っている。
だからおっちゃんに悪気はないのは分かる。
ただおじちゃんは子供なのだ。
ここは会社で、相手は友達じゃなくて会社の同僚だってことが、身にしみて分かってない。
それで無邪気に「遊ぼっ♪」とちょっかいをかけちゃうのである。

満員電車で痴漢と間違われるのは怖いはずだ。
「この人です!」って腕を掴まれてからじゃ遅い。
これだって同じこと。
君子李下に冠を正さず。
然るに会社で女性社員に通せんぼなんぞすべからず。


以下は別のおじちゃんたちの私に仰ったお言葉。
「暑いよなー。水着で仕事してくれていいんだよ。」
「余興で女装するからさ、今○○ちゃんが使ってる口紅、使わせて!」
頭のネジ、だいぶ緩んでる。

面白いのがたいがいのオジちゃんが言い放った後、
チラッとこちらの様子を確認することだ。

このお父ちゃん達も、子供だ。
甘えを感じる。
お母ちゃんのように「こらっ、○○ちゃん!だめよ!」と叱ってほしいんじゃなかろうか。
ラウンジでお触りをしようとして
「コラ!」とママさんに手の甲を軽くはたかれるのが楽しい、って感じ。

この手のオジちゃんは、冷徹に無視するのがよい。

困ったおじちゃんらとの水面下での闘い。
こういうどうでもよくて実益がないことをうまくさばいて、その隙に仕事をする。
現実って、面倒だ。


今日も読んでくれてありがとう。
ものすごく長かったよね。
もう結局愚痴だもんね。
ありがとう。
じゃあまた。

決めた事

こんにちは。
またまたお久しぶり。
どうしてた?

今日決めたこと、聞いてください。
毎週3回は更新します。

言ったそばから、続けられるかどうか不安になります。

やれるだけやってみよう。
です。

一行だけ、なんて日もあるかも。
ぼやいてるだけ、なんて日も。
でも、書かないよりかはいいかと思う。

読んでくれてありがとう。
これからまたよろしくおねがいします。
プロフィール

 みほ

Author: みほ
生きる日のよろこび、悲しみ。
一日一日が新しい彩りをもって
息づいている。
(By岡本太郎)

本と植物のお話が中心です。

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