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真贋からややこしい人間性の話

こんばんは。
今年も蝉の大合唱が始まったね。
どうしてる?

最近読んだのは吉本隆明氏の「真贋」。
本を読むことは、一般に人生を豊かにするって認識だ。
もちろん良いこと=利はあるだろう。
けれど同時に毒がある。
ってゆうようなことが序盤に書いてあった。

「文学の毒。」
すごく分かるな!
賢くなったり、豊かになったりした気分になる。
けれど、むしろややこしい思考回路が形成されて、
迷宮に入ったような気分になるもの。

今日のこれからの話、「文学の毒」の話とは少しずれるんだけど、
まあ、私のややこしい人間性の話。

「趣味は何?」と聞かれる。
「読書。」と答える。
答えとして平凡すぎるから嫌なんだけどさ、
本当に好きだからしょうがないよね。
それでね、「どういう本が好き?」
って聞かれると困っちゃうんだ。

「不思議の国のアリス」のクライマックスみたい。
頭の中で、お気に入りの本の表紙たちが一斉に宙を舞い始める。
「さあ、どれにするんだい?」
どれも、ひとつひとつ、素晴らしくて、懐かしくて、思い出すだけでお腹がいっぱい。
それで、一瞬フリーズしてしまう。

「『いい天気ですね。』
と、挨拶がてらに声をかけられたら、
適当に答えればいいだけ。
「本当に!」とか
「気持ちがいいですね」とか。

「趣味は何?」もそれと同じ。
半分挨拶みたい質問だから、
いちいち真面目に考える必要、あまりないよね。
実際、「だいたい小説。それ以外も色々。何でも読むよ。」
って、答えることにしてるんだ。
でもね、やっぱり毎回、複雑な心境になるんだよね。


好きだから、話したい。
なのに、気持ちや記憶が溢れすぎて、言葉にできない。

好きだから、話したくない。
興味が無いだろう人に、上の空で聞かれたくない。

愛した本は、私の一部。
簡単に他人に分かられたくない。

それとね、我ながら悲しいけれど、
評価を恐れる気持ちがストッパーになってるみたい。

ほら、ややこしいでしょ。
自分でもため息が出ちゃう。
「どうしてこんな風に育っちゃったかな~。」ってね。

まあね、どうにか、ちゃんと日常をこなしてるわけだから、
いいと思うんだ。
無理せず、少しずつね、生きやすくしていけばそれでいいかなって。


今ね、ヴァージニア・ウルフのこと、思い出してる。
あの聡明で繊細で皮肉屋で気難しがり屋の美しい人。
すごく惹かれるんだ。
ああなりたい訳じゃないけど。
「ダロウェイ夫人」、もう一度読んでみようかな。

今日も読んでくれてありがとう。
あなたは自分のややこしい気持ちを持て余すことってない?

じゃあ、またね。
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真夜中のトイレ、タイムスリップ、「君の名残を」

真夜中にトイレに起きた。
静かで暗い、淀んだ空気の居間と廊下を通ってトイレに入る。
たまにドタッという音がする。
上の階の住人の気配だ。
頭がぼんやりしたまま、便座に腰掛ける。
気付けば目の前の壁をぼーっと見ている。
目を開けているのに眠っているようなおかしな感覚。
そんなときは必ず、ドアを完全に閉め切らない。
少しの隙間だけ開けておく。


子供の頃、テレビで見た怪談が忘れられない。
夏、怪談の盛り上がる季節の特番か何かで放送された、
何本もの短いドラマのうちの一つだ。

夜中、トイレに起きた子供。
トイレを済ました子供がドアを抜けた瞬間、
そこは鎧武者たちが死闘を繰り広げる夜の森の中なのだ。
あたりを見回しても、もうどこにもドアは無い。
泥と血にまみれた、亡霊のような鎧武者たち。
彼らの刀や鎧が激しくぶつかり合う音。
不気味にざわつく木々。
露にぬれた足元の草。
自分の素足。
場違いな薄手のパジャマの裾。
子供は言葉も出ずに立ち尽くす。
鎧武者の1人が不意に振り向き、何の躊躇もなく子供の頭上に刀を振りかざす。
「きゃー!」

と、いうところでドラマが終わる。

そこから結構長い期間、私は、ドアを閉める度、次にドアを開けた途端に別世界だったらどうしようと
本気で怯え続けた。
幽霊譚で怯える感覚より、もっと切実に恐ろしかった。
だって実体のある鎧武者は、私を本当に切り殺すのだ。
血や命に直結した恐怖。
そしてそれ以上に、人間の運命を翻弄する、冷徹で得体の知れない大きな力への恐怖。

それが焼きついていて、未だにドアという境界線が嫌いだ。
現実に私がタイムスリップしてしまうことは、きっと無いだろう。
けれど、人間がちっぽけで、自然や運命に翻弄されることは確かで、
私にとってドアがその運命の暴力の象徴なのだ。
本当は、何が起きても、結局は全力で生きるだけのことだ。
とはいえやっぱり、トラブルはご免。ドアにご用心だ。


タイムスリップといえば、
浅倉卓弥「君の名残を」

君の名残を


主人公達が飛ばされるのは、源平の合戦の時代。
現代に戻るすべはなく、互いが同じ時代に存在することも知らず、
乱世の中それぞれの場所で大人になっていく。
やがて気付かされる、運命が彼らという駒に与えた役割。
有無を言わさず投げ入れられたその土俵で、
葛藤しながら自由意志を持った1人の人間として精一杯生きる姿が美しい。


今日も読んでくれてありがとう。
このごろ暑いよね。夏バテとか大丈夫?
じゃあ、またね。
よい3連休を。

オノマトペ

やあ!
今日はどうしてた。

こちらは、相変わらず頭がうっすら痛いです。

目も痛い感じがするので、テレビも携帯も本も受け付けない。
なんて言いつつ、パソコンの前に座るんだから、快方に向かっているみたいです。

今日はどうでもいい話。

オノマトペを英語で説明するって面白い。

プカプカはfloating comfortably especially in or on the water
フワフワはfloating comfortably in the air

ベタベタはsticky and slight oily touch and it uncomfortable
ギトギトは oily and sticky and having glittering look

かなぁ、なんて。

面白い、とか言いながら、たった4例で飽きちゃったけど。

こちら、谷川俊太郎さんの「みみをすます」。
静かな迫力がある詩です。
みみをすます

平和だったりもします。
怖かったりもします。
ネットで検索したら、簡単に本文は出てくるけど、
ぜひ実際の本を手にとって長新太さんの挿絵とともにご覧になってください。
あれ?宣伝っぽくなっちゃった(笑)

前半はオノマトペだらけです。
英訳が付いています。
(※少なくとも、画像のバージョンの本には。)
けっこう違うオノマトペに同じ英単語があてがわれてて面白い。
英語版の翻訳の方は、大変だっただろうな。
日本人同士だと、オリジナルで作ったオノマトペも、
なんとなく雰囲気が理解しあえるものね。

そのうちオノマトペをもっと突き詰めて考えたいな。
でも、今日はこの辺でおしまい。

今日も読んでくれてありがとう。
またね。

ノスタルジーの日

こんにちは。
今日はどうしてた?
こちらはいつもと変わらず。

今日は本にまつわる話。

週末、部屋の片づけをした。
本の量もだいぶ減らした。
いったん棚から全部本を出す。
段ボール箱を用意して、
不要とジャッジした本を放り込んでいく。

棚の奥から、秋元康先生「君の恋のつづきを占おう」が出てきた。
「わぁ、まだこの本、持ってたんだ!!」
って呟きながら、即座に段ボール箱行きを決定。
もう恋を占ってもらうような歳じゃないし。
タイトルが恥ずかしいので、わざわざ箱の底のほうに埋める。


100円の小さな値札が貼られていた。
私は19~20才くらいだったはずだ。
古本屋の棚で見つけて、目が離せなくなって。
「なんて恥ずかしいタイトル!」って思いながら、
他のお客がいない隙に棚から引き出し、立ち読みして。
その場で読み切ってやるつもりだったけれど、
結局買って帰った。
恋に悩む「女の子」だった自分。

今日そんなことを思い出していた。
それでついまた、その本を段ボール箱から引っ張り出してきてしまった。
まだ捨てずに箱ごと玄関に置いたっきりだったのだ。
埋めて、掘り出して、また埋めて、また掘り出す。
犬じゃないんだから。

ランダムにページを開き目を通してみた。
身が入らない。
「珠玉の恋愛バイブル的エッセイ。」というのが私のこの本のイメージ。
確かに若かった私にとってすばらしいこと、身にしみることが書かれていたはずである。
でも、もう今は必死になって読める気がしない。
必要としていないからだろう。

大人になったというか、歳をとったというか。
最近よく、人生のステージが一段別の場所に移動しきったことを感じる。

大学を卒業して3~4年目くらいまでは、学生生活が懐かしくて仕方がなかった。
今ももちろん懐かしいが、それはあくまでただの思い出であって、
「戻りたい」と切望したりはしない。
そこはもう別世界。
そんな風に、確かにあったもの・いた場所が遠くなっていく。

もちろんこれからまた、大学に通うことも、恋に悩むこともあり得るだろう。
私はそれらを同じように楽しむだろう。
ただしそれは、19歳の私のそれとは、別のものだ。

寂しがっても仕方ない。
でもやっぱり少し、寂しい。


今日も読んでくれてありがとう。
こんな風に思うこと、ない?
例えば、「道のど真ん中で思いっきり大声で泣けないなんて残念だなぁ。」とかさ。

じゃ、またね。

ルナールと資本主義

話を、少し前に戻していいかな?
ほら、ネットワークビジネスに誘われたって話。

「金持ち父さん」シリーズはね、
「雇われ人は、人に使われ、お金に振り回され、
同じ輪の中を延々と走り続けるモルモット(つまりラット)みたいなもの。
そのラットレースの輪を抜け出しましょう。
資本家や投資家になることで。」

ってゆうふうなことを言うんだ。

私達は鼻先にニンジンをぶら下げて、走り続けるお馬さん。

なんだか身にしみるんだよね。

マルクスが言った「労働の再生産」。

賃金は労働に対する対価ではない。
労働者が生命や生活を維持して、働き続けられる金額を資本家が提供しているに過ぎない。

と、いうのが私なりの理解。

なんだか奴隷と同じだよね。
「毎日ほんの少しとパンと水しかもらえない。
でもまた明日も働かざるを得ない。
だって働くのをやめたら、食べていけないもの…。」
って。

「働くこと」。
もちろん、それだけじゃないよね。
充実感とか、経験とか、得るもあるよね。
でもさ、やっぱり、奴隷だなぁ...。
って思っちゃう。

フェレーロの「権力論」は読んだ?

私には難しかったけど、でも面白かったよ。
本当に理解するにはフランス革命前後のちゃんとした歴史の知識がいるんだ。
そのへんの勉強が足りなかったのは残念。


メインポイントはね、「正統性」。
支配の方法は実は何でもいいんだ。
君主制だって、議会制民主主義だって、何でもいい。
ただ支配される側が、支配者および支配体制の事を「自明である」、
つまり「正統性」を持つと認識し、大した疑問を持たずに支配されているって状態ことが大切。
そういうときが、支配する側も支配される側も一番ハッピーなんだ。

逆にね、支配される側が支配者のことを「正統じゃない」って思ってるとしたらさ。
支配者はもう、苦しいよね。
いつ反逆が起こるかもしれない、なんて思うと夜も寝れない心地でさ、
無駄に軍備を増強したり、無駄に被支配者を監視したり、したくなるよね。
そうなると、被支配者も不幸でしょ。

でね、フランス革命ってさ、
王制から、議会制民主主義に支配体制を変える革命だったわけ。

最初、普通の人達はね、王様に統べられるのが当然だったからさ、
「議会制民主主義?何それ?今のままでいいよー。よく分かんないし、不安だし。」
っていう反応だったんだって。
それがどういうプロセスで変わって革命が達成に至ったかってことが書かれてるんだ。
権力の過渡期、だね。

面白いよ。
もし、読むことがあったら、
自民党からさ民主党へとさ政権交代したときのことや、
明治維新のときのことに当てはめてみて。
きっと、なるほど!って思うから。


えーっと、どうして「権力論」の話になったかって言うとね、
今の支配権力は資本主義で
私は資本主義に、資本家に進んで支配されてるんじゃないかって思うんだ。
でね、私はその「正統性」に少し疑問を持つようになってきてる。
もっといい方法ないの?って。

実はね、元々話したかったのは、池澤夏樹さんの「光の指で触れよ」って本のことだったんだ。
それが「ルナールの恋とビジネス」の最後のほうで、ちらっと言った「別の方向の本」。

「金持ち父さん貧乏父さん」はさ、支配権力のほうに移ることで、ラットレースを抜け出せって言う。

でもね、真逆の「解脱」の方法がさ、あったんだね。

「光の指で触れよ」の話はまた今度。
きっと次も長い話になるよ。
それよりもっと前に書かれた「素晴らしい新世界」のことから説明いないといけないし、
夏樹さんのことを話し出したら、とりとめが無くなりそうだよ。
ファンのつもりはないんだけど、けっこう色々読んでてさ。
あれも良かった、これも良かったって。
ああ、どうしよう。


今日も読んでくれてありがとう。

今日はややこしい話だったでしょ。
でもたまには面白いよね。

机上の空論だなって、ちょっと反省するんだけど。
プロフィール

 みほ

Author: みほ
生きる日のよろこび、悲しみ。
一日一日が新しい彩りをもって
息づいている。
(By岡本太郎)

本と植物のお話が中心です。

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