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読書のしかた

こんばんは。
ここのところ天気が不安定だね。
大雨に振られたりしなかった?

今、見たい映画があるんだ。
渡辺謙さん主演の「許されざる者」。

今ね、ちょうど池澤夏樹さんの「静かな大地」を読んでいてさ、
舞台は北海道だし、時代も近いし、アイヌの登場人物がいるし、
これは見なきゃ!と思って。

ねぇ、あなたは、どうやって一冊の本を読む?

私はさ、ちょっと前までは、いっきに一冊読み切ってたんだよね。
だいたい2~3時間はかかるかな。
その間、やらないといけないこと、ぜーんぶほっぽらかして、本にかじりつくんだ。
石仏みたいにその場に固まってるから、必ずお尻が痛くなる。
そういう読み方が好きだったの。

でも今は少しずつ、少しずつ。
「静かな大地」は、時間軸や語り手がちょくちょく変わるから、
少しずつ読みがむしろ楽しいけどね。
毎晩、昔話を聞かせてもらってるみたいでね。

でも、「いっき読み」がめったできなくなったことが、ちょっと残念。

できないっていうのはさ、
集中力が減っちゃってるっていうことと、
他にすべきことがあって時間が足りないっていうことと、
そういう義務的なことを、欲望のおもむくままに無視できちゃう、
向こうみずさがなくなりつつあるってことのコンビネーション。

昔、お父さん業真っ只中の会社の人、言ってたな。
「俺だって、できることならいっきに本が読みたい。」
当時は、ピンと来なかったけど、
なんだか今はうっすら共感できるかな。

ねぇ、速読ってどんな気分なんだろう。
今と同じ質で、読めるのかなぁ。
だとしたら、いいよね。
一度挫折したけど、またトライしてみようかな。

話は書き出しのほうにもどるけど、
「静かな大地」の中でアイヌの神話を聞いてて、改めて思ったよ。
神話とか民話って、すごく面白いね。
今年からその辺の本を沢山読みたいな。

あなたには、「今の読書テーマ」みたいなのってある??

私のここ数年、メインテーマを一応据えてて、
面白ければ何でも読むってスタンス。


と、いうことで今日はここまで。
読んでくれてありがとう。
これじゃただの日記だ...。
って反省しています。
でも、たまにはこんなのも許してね。


じゃあ、おやすみなさい。



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ペドロ・パラモ

こんばんは。

このあいだ、大雨が好きって話をしたでしょ?
罰が当たったのかなぁ。
土曜に予定していたバスツアーが、台風の影響で中止になってしまったよ。
あなたは、週末は何するの?

昨日、家に「ペドロ・パラモ」が届いたんだ。
もう家の本は増やさない、って決めてるんだけど、これは特別。
ずっと手に入れたかったからね。

字体が変わると、雰囲気がかなり変わるんだね。
図書館の慣れ親しんだ「ペドロ・パラモ」は死んだ母親の声が漢字&カタカナだった。
家に来たのは普通表記を太字で書いてあるだけ。
私はカタカナの方が好きだな。
この世ならぬ感じがして。


ものすごく、この本に惹かれる。

望郷。恋。
遠くにあるものに焦がれる、心の声。
光も色も匂いも味わいつくすシーンの描写。
輝かしい回想。暗く寂れた人と街の運命。

何度読んでも、圧倒されるんだ。


さ、せっかく届いたんだから、また読まないとね。

今日も読んでくれてありがとう。
楽しい週末を。

不思議 カランコエのアルボレッセンス

こんばんは。
やっと金曜日にたどり着いたね。
お互いにお疲れさまだね。
今日はどんな一日だった?

私は、頑張って昨日チームに配属された新人君に声をかけた日でした。
「あそこ、○○チームのチームリーダがちょうど来てるから、ご挨拶しに行こうか。」
とか
「課長(出張中)がね、6時になったら帰っていいって言ってたよ!」
とかね。
はー、緊張したー。
いい大人だけど、人見知りしちゃうんだ。
だから心の中で「ひぇー!無理無理無理ー!」って叫んでいたよ。
でも独りぼっちにしておけないものね。
よけいなお世話かもしれないけどね。


今日は何の話をしようかな。
また、植物の話。

多肉植物は体内に水を蓄える能力のある植物。
良く見ていると、水を十分蓄えているときにはプックリした姿になり、
水が減ってくれば痩せてくる。
痩せたのを見計らって水をやればよい。

たぶん多肉植物が好きな人には常識なんだよね。

家にある「カランコエのアルボレッセンス」。
白みがかった細い幹の先に、黄緑色の葉。
葉先には赤くて細い縁取りがあって、パッ踏ん張ったトカゲの足みたい。

この葉がね、買って帰って半年以上、水をやろうがやるまいが、
ずっとシワシワの年寄りトカゲ状態だったんだ。
それがさ、昨日水やりをしたあと、今日になって、
本当にプックリしているの。
びっくりしたよ。
ずっと休眠してたんだね。
それで突然目を覚ましたんだ。
いったい何がスイッチだったのか。
不思議。

不思議で思い出した!

以下は今年、我が家のニシキマルが開花した時の文章。
長くなるけど、ついでに読んでくれたら嬉しいな。


3~4年育てたサボテンに遂に蕾がついた。
何の兆候もなく突然、深緑色のイボの谷間にそれは出現した。

生きている。
年々根が充実し、体が大きくなり、花を咲かす。実がなる。
どうして?
不思議で、気味が悪い。
赤茶けた小さな蕾をジッと見つめる。

もちろん単純に嬉しい。
「今までの管理は正解だったんだ。」
「愛情に応えてくれた。」
なんてね。
でも、「私、やりました!!」とは言えない。

私が花を咲かせるのではない。
どんなに世話を焼こうと、結局はサボテン自身。
開花の決断を下すのは。

私は原産地メキシコ、モレロス州で一番よく生きるだろうサボテンを、
冬は寒く夏は蒸れるこの日本で小さな鉢に閉じ込め、
何とか生かすという、無駄に満ちた贅沢な遊びに一喜一憂しているだけ。

植物が、生き物が生きるという仕組みの不可思議さ。
複雑さ。途方もなさ。
小さなサボテンは、何か大きなものと繋がっている。

分かった気に、コントロールした気になるのは、
お釈迦様の手のひらの内の孫悟空になることだ。

長い長い年月をかけて編み出された命の仕組みに、畏敬の念を覚える。
改めて身の丈を知る。


はい!以上でした。
今日も読んでくれてありがとう。
世の中不思議だらけだよねー。


じゃあ、おやすみなさい。
楽しい週末を過ごしてね。

クワズイモ 生きものを好きになること

こんばんは。
金曜日だね。
あっという間の一週間だったな。
あなたはどうだった?


今日は植物がらみのはなし。


ぽたっと手の甲に雫が落ちてきた。
リビングに置いているシマクワズイモが降らせたらしい。
何枚かの葉先にはまだ垂れていない滴が光っている。

サトイモ科の植物は、高温期の葉の蒸散が活発で、
夏になるとよく、水やりあと雫を垂らすのだそうだ。

それに憧れて今年の冬に買ったクワ子さん。

「ねーねー。私、元気よー。」
なんて、話しかけられてるみたいで嬉しい。

初夏の頃からの旺盛な成長が面白くて、ほぼ毎日身長を測っている。
普段から意味もなくじーっと見ることが多い。
生まれたての葉は表面を飴でコーティングしているみたいにつやつやしていて美しいし、
茎は良く見ると緑の細かい緑の点や線が透けて見えてきれいだし。
全然飽きない。

見つめることは愛だ。
といっても、まさか人間を、こんなにもジーッと見たりはしない。
人は、凝視され過ぎると、きっと壊れてしまう。
植物に過剰に水や肥料を与え続けると弱ってきてしまうのと同じ。

必要なものを、必要な分だけ。
というのは、生き物と付き合っていくうえで、とても大切なこと。

手を焼きたい
見ていたい。

けれど「あるがまま」を壊したくない。

そういうもどかしさ。
苦しくて、面倒で、微妙なバランスの上に成り立っていて、
たぶん楽しい。


読んでくれてありがとう。
私は何が言いたかったんでしょう。
自分でもうまくつかめないまま、書いてしまいました。

そういえば、岡本敏子さんクラスになると、
苦しいとかそういうネガティブなことは一切浮かばないみたい。
まだまだ私は煩悩にあふれているってことかな。

あ!また、とりとめのないことを言い始めてる。
ごめんね。
退屈させてないといいんだけど。

じゃあ、またね。
よい週末を!


食うものをくれ

こんばんは。
今日もまた、暑かったね!
元気にしてる?

今日もね、また本の話です。
で、昔書いた文章なので雰囲気が違うかも。
楽しんでもらえればいいけど。


「ブリンジ・ヌガク 食うものをくれ」
は最近読んだ本のタイトル。

アフリカのイク族を研究するため、彼らと生活を共にした文化人類学者の記録だ。

イク族はかつて山岳地帯を移動しながら狩猟・採集で生活を営んでいた民族だ。
おそらくその移動生活はそれなりに豊かであったと想像される。
しかし政府の政策により、作物もろくに実らない痩せた土地への定住を余儀なくされる。
そして訪れたのが継続的な飢饉である。

筆者がイク族の集落を訪れたとき、案内役のイク族の青年が
2年ぶりに会う病気の母親にかけた最初の言葉が、
「ブリンジ・ヌガク」(食うものをくれ)である。

様々な出来事が筆者を驚かせる。

自分以外の人間に無関心。
家族ですら、食物を分かち合わない。
得た食物はその場で食べつくされ、
食べ物を家に持ち帰り家族と分かち合うということは皆無だ。
例えば家で老人が病に伏していて、援助の食糧を自力で取りに行けないというとき、
彼らは老人の分の食糧も受け取り、家に帰り着くまでに食べつくしてしまう。
たとえ食糧が一人で食べきるには多すぎる量であっても。

そうやって老人や病人はは食べ物を奪われ、放置される。
子供も3歳で家から放り出される。

今にも死にそうな人に、筆者が与えようとした飲み物を、
同じ集落の女が取り上げて飲み干し、周りが笑う。
彼らにとって、弱者が困難に陥るシーンは、いつだっておかしくてたまらないのだ。
弱者を積極的に攻撃したりはしない。
けれど、年寄りが崖から足を滑らした際など、皆大いに笑う。


私たちが大切だとしてきた、愛が、思いやりが、道徳が存在しない世界。

筆者な彼らの有りように辟易するが、やがて気付く。
そんなものが入り込む余地がないほど、彼らの飢えは深刻なのだと。
愛など贅沢品で、そんなものを保持していたら、彼らはすぐに死に絶えていただろう。
彼らのやり方は、彼らが飢餓を乗り越え生き残るため出来上がったシステムだ。
愛や、思いやりや道徳は、本当は脆い。

最後に筆者はイク族の世界を現代に重ねる。

そうかもしれない。
今の世の中が、イク族の集落のようだって。
そんなこと認めたくないけれど。
少しづつ近づいていっていなないかと不安になる。

痩せこけた祖父を病院に見舞うとき、思う。
私はこの人をここに捨て置いたのではないかと。
まだ出来ることはあったはずなのに、その手間を惜しんだんではないかと。

飢えて痩せこけたアフリカの子供をテレビを通して見て思う。
私はこの子たちの食べ物を奪っていると。

子供の頃は、苦手だった過激なお笑いの人達。
「何であんな意地悪するの?」
なんて、今は思わず、きわどいことでも笑って見ている自分。

何かをしない残酷さ。
目をそらしているうちに、感覚が麻痺していく。
残酷なことを、残酷と感じることすら無くなっていく。

そういうことが、
今の世の中にもあてはまるのじゃないか。

時代に迎合している私が、こんなこと指摘できる立場ではないのだけれど。


以上。
長かったよね。
読んでくれてありがとう。
「みんな仲良く」って可愛いことばだよね。
じゃあ、また。


プロフィール

 みほ

Author: みほ
生きる日のよろこび、悲しみ。
一日一日が新しい彩りをもって
息づいている。
(By岡本太郎)

本と植物のお話が中心です。

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